今回のテーマはお歯黒です。そう言われたら、きっと多くの方は驚かれるかと思います。
- 「真っ黒な色を付けて、かえって歯に良くないんじゃ?」
- 「そんな古い風習、現代人に意味があるなんて思えない」
- 「というか、そもそもお歯黒って歯科医療に何の関係があるの?」
そんなお声が聞こえてきそうですね(笑)。たしかに文化や習慣、伝統は、時代とともに移り変わります。昔は広く行われていた風習でも、現代では全く行われないものも珍しくありません。
もちろん、お歯黒もそんな風習に該当します。しかし実は、お歯黒をした歯は、虫歯や歯周病になりにくいという特徴がありました。そして、それをもとに現代の技術による研究も進んでいます。
こうお伝えすれば、ちょっと興味が湧いてくるのではないでしょうか?今回は、そんなお歯黒と歯の健康効果についてお話しします。
お歯黒とは?
お歯黒の成分
お歯黒とは、ご存知の方も多いと思いますが、歯を黒く塗って染めてしまうお化粧のことです。そして、お歯黒に使われていた染料の主な成分は、タンニン酸第二鉄です。
このタンニン酸第二鉄は、万年筆のブルーブラックインクに使われています。今で言うなら、万年筆のインクを歯に塗っているようなものですね。
お歯黒の作り方
お歯黒の作り方ですが、まずお歯黒水(おはぐろみず)という水溶液を作ります。お歯黒水は、お酢、酒、お米のとぎ汁、錆びた鉄くず、古い釘などをお歯黒壺(おはぐろつぼ)という入れ物に入れ、2~3ヶ月もの時間をかけて炉端で温めたものです。
お歯黒壺の中では、食べ物が腐り、酸が作られます。この酸が鉄を溶かし、第一鉄の水溶液に変わります。お歯黒水は食べ物を腐らせたものなので、かなり臭かったのではないでしょうか。
これに、タンニンをたくさん含んだ、ウルシ科の「ヌルデ」という木のこぶを粉にしたものを溶かし込みます。こうして前述のタンニン酸第二鉄ができあがり、お歯黒に使われました。
歯を日常的に黒く保つため、お歯黒筆(おはぐろふで)を使ってこれを毎日、もしくは数日に一度は塗っていたようです。なお、江戸時代に入ると、毎日塗るのではなく、結婚式やお祭り、お葬式など、特別な時だけお歯黒をするようになったそうです。
お歯黒の歴史
お歯黒は日本独自の化粧法から生まれた
日本のお化粧は、中国大陸などの文化の影響を強く受けて始まったものと考えられています。ところが平安時代の初め、894年に菅原道真によって遣唐使が廃止されます。皆さんも「白紙(はくし:894)に戻す遣唐使」という有名な語呂合わせを、日本史の授業などで聞いたかもしれませんね。
唐(中国)への派遣を止めて以降、日本の文化は中国大陸の影響を受けなくなり、独自に発達していくことになります。そして、この過程で日本独特のお化粧の方法が生まれます。
中国大陸では見られない、眉毛を抜いたり剃ったりする化粧が生まれたのは、平安時代以降であり、お歯黒も同時期に端を発しています。
お歯黒が生まれた理由までは明らかになっていませんが、お歯黒は日本独特の化粧法の発展とともに生まれた風習ということは間違いありません。
お歯黒の普及
日本の化粧の歴史は、貴族階級から始まります。というのも、化粧をしたのは最初は貴族だけだったからです。お歯黒も、平安時代の貴族の中で、女性が成人になった証として始まりました。
時が経つにつれ、化粧をする文化は貴族から庶民へと広がっていきます。お歯黒も例外ではなく、一般の女性も結婚を機にするようになり、1000年以上にわたって、日本の文化として続いたのです。
ちなみにこの間も、中国大陸ではお歯黒の風習はないので、やはりお歯黒は日本独特のものと言えるでしょう。
お歯黒の消滅
日本国内に幅広く広がったお歯黒文化は、男性にも普及した時期もあったようですが、江戸時代以降は、男性のお歯黒はほぼなくなり、女性の風習となります。
そして明治3年、皇族や貴族を対象としたお歯黒禁止令が出され、皇族や貴族はお歯黒を止めるようになります。庶民に対してお歯黒禁止令は出なかったようですが、一般の人たちも徐々にお歯黒をしなくなっていき、やがて日本独特の文化として生まれたお歯黒は消滅します。
お歯黒の歯を守る効果
さて、ここからは歯科医学の見地からのお話にしましょう。冒頭でもお伝えしたとおり、お歯黒には歯の健康を守る効果があったようです。
実際、お墓から掘り起こされた遺体を検証すると、お歯黒をしていた歯には虫歯がほとんどなかっただけでなく、お歯黒前に始まった虫歯の進行も止まっていました。
虫歯や歯周病予防
当時の人たちは、歯にお歯黒を塗る時、お歯黒の染め付けを良くするために、楊枝の先を細かく割いた房楊枝(ふさようじ)という、いわば歯ブラシのようなもので歯の汚れを入念に取り除いていました。ホワイトニングの前に、歯をきれいに磨くのと似ていますね。
歯の汚れには、食べかすだけでなく、歯の表面についているプラーク(歯垢:しこう)も含まれています。プラークは菌の温床なので、虫歯や歯周病の原因とされています。プラークや歯周病については、歯周病は治療が可能のコラムでも詳しく解説していますので、興味のある方はご参照ください。
当時の人々はお歯黒をする際、歯をきれいにする、すなわち今で言うプラークコントロールをしっかり行っていたわけです。これが虫歯や歯周病の予防につながっていたのではないでしょうか。
酸への耐久力
先述した、お歯黒水の材料となるウルシ科の「ヌルデ」はタンニンを豊富に含みますが、タンニンには歯茎を収縮させ、細菌から守ってくれる作用があります。そしてタンニン酸第二鉄には、歯の表面を緻密な膜で覆って、歯そのものを保護する働きがあります。
また、タンニンと結合する前の第一鉄には、歯のリン酸カルシウムに作用し、虫歯菌の作り出す酸への抵抗力を高める作用があるのです。
このような理由により、お歯黒を施した歯は、虫歯になりにくかったと考えられます。昔の北陸地方には、「お歯黒の女性は医者いらず」という言い伝えもありました。お歯黒をすると歯の色が黒くなってしまうわけですが、歯の健康面からすると、お歯黒は歯に良いものだったのかもしれません。
歯に関する歴史から学ぶ
今回は、今では廃れてしまったお歯黒についてお話ししました。一見、歯の健康に関係がないように思えるお歯黒が、実は有用だったと分かるのは、ちょっと興味深いお話ではないでしょうか。
お歯黒は日本独自の化粧の一つとして発展した文化であり、現代人からすると違和感のある見た目とは裏腹に、虫歯や歯周病といった歯の病気に対して、高い予防効果のあるものでした。
お歯黒による歯の健康効果は今でも注目されており、日本歯科医師会の情報としても取り挙げられているように、現在、お歯黒の有効成分に着目した詰めものや被せもののセメントなどが開発されています。